いけばな雪舟流の精神
華道の精神とは何か。
一世家元・増野雪舟は、その答えを2つの言葉に託し、その追求を目指して、いけばな雪舟流を創流しました。
「極限まで削ぎ落とすことで、究極の美が生まれる」
一世家元は、画僧・雪舟等楊禅師が遺した日本庭園・雪舟庭の簡素さと、ゆとりある温かさに深い感銘を受け、その石組構成の精髄を華道に応用することを目指しました。
詩人・島崎藤村は、雪舟庭について次のように記しています。
「誰もこの庭から石一つ除き去ることは出來まい。誰もまた、この庭に石一つ附け加へることも出來まい。」(1927年発表「山陰土産」より)
成立当初は簡素な美しさを持っていた華道も、時代が下るにつれて、様々な花を多用した派手な作品が人気を集めるようになりました。
色とりどりの植物を用いた作品は、確かに艶やかできれいです。しかし、それは本当に“美しい”といえるでしょうか。
一世家元は、そのような疑問を抱き、シンプルで簡素な美しいいけばなを生み出すために、「極限まで削ぎ落とすことで、究極の美が生まれる」という言葉を流の理念としたのです。
「花をいけるのではない、空間をいけるのだ」
華道やいけばな(生け花)というと、「花をいける」という行為だけに意識をとらわれがちです。
しかし、一世家元はその考えを否定しました。「空間をいける」という言葉を用いて、空間芸術としての側面を強く打ち出したのです。
花をいける空間の個性をとらえ、その空間をいかすいけばなを生み出さなくてはいけない。たとえ、その作品が美しかったとしても、空間と調和しなければ、成功とは言えない。空間を殺すいけばなは、いけばなではないのだ。
また、「空間をいける」ということは、鑑賞者の視線を意識するということでもあります。
どの向きから、どのぐらいの距離で、どのような角度をもって見られるのか。
独善的・自己満足的な考えを捨て、見られることを意識したいけばなを生み出すためにも、「花をいけるのではない、空間をいけるのだ」という言葉を理念として掲げたのです。